Whimsically.

ヒトとの出逢いはヒト自身をも変える。

「これはダメだな。ドレープが綺麗に出てない。縫い直せ。そっちは少し丈詰めてあとはヒールでキレイに見せろ。」
「オーナー、こちらはどうしましょうか。」
「とりあえずそっちのテーブルにでも積んどけ。後で見る。」
 慌ただしく人の出入りする部屋の中、一人の青年があちこちに指示を出す。
 彼は今注目されているファッションブランドのトップデザイナー兼オーナーだ。弱冠二十四歳という若さで世界中にコアなファンがいるブランドを動かしている。
 今日は日本向けのカタログやホームページに載せる写真を撮るために来日し、一日スタジオを借り切って撮影に臨んでいる。
 ただし、これほどまでにバタバタしている事は、通常ではありえない。
 それは、彼が世界中を飛び回っているせいで、最後の微調整を当日というスケジュールで敢行しているせいだ。
 縫製器具を持ち込んで、着せたモデルに合わせて直しを加えていき、それが終わった順に撮影をしていく。しかも、彼の完璧主義により、出来上がっていた服がその場で没になる事もしばしばだ。つまり、モデルの入れ替えなんて序の口。彼に気に入られたモデルは使ってもらえるが、ブランドに合わないと判断された者はその場でお払い箱という、スタッフたちはおろか、モデルたちにとっても戦場なのだ。
 そんなハードなスケジュールでも、文句も言わずにひとがついていくのは、ひとえに彼の人望と才能によるものだろう。
「さて、これでラスト。」
 最後の調整が済んだのは、すでに外が暗くなる頃だった。
 それから撮影、確認、撤収作業、その他諸々を終えればもう夕飯時も過ぎ。手配した仕出し弁当を食べる者、持って帰る者、打ち上げがてら食べに出かける者など様々だ。
 全員で打ち上げ、などはせずに、行動がバラバラなのは、アゼルが付き合いでプライベート――食事含む――まで、仕事を引き摺りたくないという方針の為である。
 オーナーという関係上、仕事関係で食事会ならぬ接待などを受ける為、うんざりしているそうだ。
 そして、アゼルは日本滞在中の宿、双子の弟の家に一旦帰り、仕事道具を片付け夕飯を取ると、再び街へと出た。
 仕事の疲れや鬱憤を晴らそうというものである。
 辿り着いたのは、とある外国人向けのバー。特にワインが豊富で、マスターとも顔見知りだ。
 ♪~チリン
「いらっしゃいませー……と、久々だねぇ。一ヶ月振り位?」
「お久しぶりですマスター。そっすね、最近仕事で体空かなくて。今日は久々に遊ぼうかなっと。」
「そう、息抜きは大切だからね~。」
 そして、マスターと歓談を楽しみながら、グラスを傾ける。
 しばらくしていると、三人連れの男たちが現れた。
「お。」
「久しぶりだな。お前らまだつるんでたのか。」
 現れた男たちは、アゼルが以前来日した時の遊び仲間で、よくアゼルの顔で相手を釣ったものだ。
「今夜の相手は見つかったのか?」
「いや、まだだ。お前らもここに引っ掛けに来たんだろう?」
 ニヤニヤとしながらも気さくに話しかけてきたのは、三人の中でも一番大柄な男。アゼルにも特に気に障るようなことはなく、自然に話していた。
「なぁ、じゃあ、今晩は俺たちと一戦行こうじゃないか。楽しもうぜ?」
 そう言って男はアゼルの方に腕を回し、他の二人もまんざらではないのか、アゼルを囲むように立った。
 傍から見ていると、質の悪い男達に絡まれているようにしか見えない。
「そうだな……。マスターに聞いた話だといいワインが手に入ったそうだから、それで手を打つよ。」
「うっし!商談成立!じゃあ、早速俺たちと遊ぼうぜ?」
 そこでアゼルは、ひとつ食い違いがあることに気づいた。
「一戦って、引っ掛けに行くんじゃなくて、このメンツで遊ぼうってことか?」
「ったりめーだろ?何か不満か?」
 アゼルが若干嫌そうに尋ねると、当然といった口調で返してきた。
 アゼルが渋った理由は相手が男だからじゃない。アゼル自身もバイだし、この男たちもゲイやバイであることは知っていた。だとすれば、理由は――?
「……お前ら三人ともネコやる気ねーだろ。それとも俺が日本にいない間に宗旨替えでもしたのか?」
 若干訝しむ様にアゼルが問いかけると、男たちはニヤついた笑みを崩さないまま、素振りで否定した。
「まあ、いいじゃねぇか。な?」
 懐柔するように男たちが声をかけてくるのに一考すると。
「マスター、ボトルで。」
「はいはい。どうも。」
「おいっ!」
 条件であった高価なワインを、勝手にグラスからボトルに変更した。
 そのワインはそれなりに値が張るので、男たちは若干焦ったが、今度はアゼルがニヤつく番だ。
「俺が相手してやるって言ってんだ、安いものだろう?」
 アゼルはグラスを飲み干すと、コートをとって立ち上がり、艶冶な笑顔で口説き文句を言う。
「俺と遊ぼっか?」

***

「くっそ。早まったかな……。」
 翌朝、アゼルが目を覚ますと、勿論男たちの姿はなく、昨晩の記憶も途中から無くなっていた。おそらく、気絶したんだろうと思われるが――。
「あいつら、ぜってー俺が気ィ失ったあとも突っ込んだだろ。次会ったら容赦しねぇ……。」
 そんな悪態を付きつつ、痛む体をおしながらも街に出てきたのは、部屋――アゼルが取った、高級ホテルのスイートの部屋だ――の清掃に入って貰う為と、気晴らしの為だ。
「ったく……。ん?」
 とりあえず駅の方に出てきたアゼルだったが、ふと路地に視線をやると、高校生が数人の男たちに囲まれていた。おそらくはカツアゲか何かだろう。しかし、アゼルが気になったのはその点ではなく。
(――ガタイのいい男が三人、か……。)
 被害者と思われる高校生はよく見えないが、加害者の人数と歳嵩を見て、アゼルは決めた。
(八つ当たりの相手に、なってもらおうじゃないか。)
 カツアゲ犯を昨晩の男たちに見立てての逆襲だ。――相手にとってはいい迷惑だが。
「おい。カツアゲ野郎ども。」
 アゼルはスタスタと男たちの後ろまで歩んでいくとあと一歩のところで立ち止まり、挑発するように声をかけた。
「あ゛ぁ?」
 すると、カツアゲ犯も振り向きメンチを切ってくる。そして、アゼルのナリを見てせせら笑った。
 アゼルはどちらかというと細身で、上品とまではいかないが、決して下品には見えない。そんな優男が止めるような言葉を吐いてもカツアゲ犯が増長するだけだ。
 実際、目下のターゲットをアゼルにしたようで、せり寄ってくる。
「外人の兄ちゃん、悪いことは言わねぇから、他行ったほうがいいぜぇ?そんな細い腕で何が出来――、うげぇっ!」
 カツアゲ犯の一人が腹を抱えて、崩折れる。アゼルがカツアゲ犯の言葉を聞き終える前に思いっきり膝蹴りをかましたのだ。
「てっめぇ!」
 その様子を見て、ほか二人が沸騰し、殴りかかってくる。
 それをアゼルは軽々と躱し、一人の腹に拳を埋め込む。
(あと、ひとり。)
 倒れた男には目もくれず、残った一人にカウンターで蹴りを決め込む、そうしようとしたが、しかし。
(げ、腰が……!)
 片脚を上げようとしたところ、昨晩の後遺症で、足元がぐらつく。だが、残るカツアゲ犯は殴りかかろうとしている。
(仕方ねぇ。とりあえずこの一発は受けるしかねぇな……。)
 両足を踏ん張り、体勢を持ち直すと、拳に身構える。しかし。
 ――バコッ!
 何か重たい物がぶつかる音がし、男が前のめりによろめいた。
(なんか知らんが、チャンス!)
 アゼルは軽く身を躱すと、そのまま男の背中に拳を放ち、道路に打ち付ける。そして、おまけに肩を思いっきり踏みつけ、問答無用で三人をへばらせてしまった。
 そうして、アゼルのカツアゲ犯撃退――という名の八つ当たり――は終了し、視線を被害者の方に向ける。すると。
(おっ?)
 被害者であったはずの男子高校生は、通学カバンと思われるものを両手で持ち、正にそれを振り下ろした後の体勢で立っていた。
 先程の重たいものがぶつかった音、は彼が鞄を男にぶつけた音だったのだ。
 それを見て取ったアゼルは少々感心した。大抵こういう時は喧嘩――というよりは一方的な暴力――が始まると、その間に被害者は逃げてしまうものだ。それを、逃げずに踏み止まり、一撃とはいえ攻撃したのだ。肝が座っている。
「大丈夫か?」
 アゼルは被害者の少年に尋ねると――カツアゲ犯を踏み越えて――歩み寄り、様子を伺った。
 少年はこういった事には縁のなさそうな大人しそうで、品がある雰囲気だった。そして、顔立ちはどちらかといえば可愛らしい部類に入り、今は緊張のため強張っているが、笑顔になればとても魅れるだろう容姿をしていた。
 少々上がった息、緊張に強張った四肢、小柄な容姿、その、顔立ち。
(こいつ……。)
 アゼルは少年をきちんと見直すと、その雰囲気に、何かが心の琴線に触れた。
 それが何故だかはアゼル自身にも分からない。初めての感覚。初めての、感情。
 少年を思いっきり抱きすくめて、大丈夫だよと、優しく安心させてやりたい。
 庇護欲。
 それに似た、けれども微妙に違う。名前の付けられない感情に身を支配されたアゼルは、言葉を続けるのを忘れていた。
「……はい。大丈夫です。助けてくれて、ありがとうございました。」
「あ、ああ。」
 少年は助かったことにホッとしたのか、一つ息をつくと、お辞儀をして礼を言った。
 それを聞いたアゼルもハッとし、自身を取り戻す。
「絡まれてたみたいだけど、何か原因わかる?」
 チラと、転がっている男共に視線をやると、まだ動けず唸っていた。
「あ、はい。なんか、歩いてたら向こうからこの人たちがやってきて。よけたんですけど、その内の一人と軽くぶつかったみたいで、治療費とか慰謝料とか出せって言ってきて……。」
「……前世紀のチンピラか。」
 アゼルが呆れて言葉を漏らすと、少年も曇った顔で頷いた。
「とにかく、ありがとうございました。通りかかる人も皆見て見ぬふりで……困ってたんです。」
「いや、そんな大したことはしてないけどな。」
 アゼルはイタリアの下町育ちなので、この程度の小競り合いは小学生レベルでも日常茶飯事だった。
「そんなことないです!ほんとに助かったんです、えーっと……。」
 この段になって、少年はアゼルの名前を知らないに気づいたようだ。アゼルもそれを察し、簡単に名乗った。
「俺はアゼル。仕事で来日して、この先のホテルに泊まってる。君は?」
「あ、俺は雪斗っていいます。アゼルさん、ほんとにありがとうございました。」
「アゼルでいいって。さんとか付けられると、なんかむずがゆい。あと、敬語もいらない。」
「え、あ、はい。」
 アゼルは苦笑気味に言うと、ふと思い立ったように尋ねた。
「雪斗、今ケータイ持ってる?」
「え?はい。持ってますけど。」
「敬語。」
「え?あ、うん?」
「そうそう。じゃあ、ケータイ赤外線にして。」
 アゼルは一言で訂正を入れると、雪斗も気付いたように直した。すると、アゼルは微笑んで褒めるように言った。そして、そのまま雪斗が状況を飲み込めていない状態で話を進めていく。
「え?あ、……えーと、受信?送信?」
「受信。」
 雪斗が操作しながら伺うように尋ねると、アゼルは一言で答え、赤外線ポートを向かい合わせた。
「……アドレス帳?」
 通信が終わった旨の音が鳴り、雪斗のケータイにアドレス情報が受信された。
「それ、俺のアドレス。気が向いたら、連絡して。また、こーいうのに絡まれた時でもいいし。」
「え?」
 きょとんとしている雪斗は、既にアゼルに対しての警戒心がゼロになっていることに気づいていない。
「そろそろ行かないと、学校に遅刻するんじゃない?」
「あ!そうだった!あの、ほんとに今日はありがとう!」
「気にすんな。ほら、遅れるぞ。」
「うん、じゃあ!」
「またな。」
「またー!」
 そう言いながら、雪斗は駅に向かって走っていった。
「また、な……。」
 アゼルは柄にもなく少々茫洋としていた。
 なぜ、八つ当たりの筈だった行為を忘れ去ってしまう程の感情が浮かんできたのか。なぜ、あの少年との繋がりを求めたのか。なぜ、少年――雪斗をもっと知りたい、関わりたいと思ったのか。
 なぜ。なぜ。なぜ。
 分からないまでも、嫌な気分にはならず、逆に少々浮き足立ってすらいる。
(まあ、いいか。)
 悪い気分じゃない。考えても分からない事を考えても仕様がない。
 とりあえず、この気持ちはしまっておいて、目先のことに目を向ける。
 そう結論づけたアゼルは転がしておいたカツアゲ犯に軽く蹴りをいれ、二度と彼に近寄らないよう言い含めて散らしてやった。
「さて、どこで時間潰すかな……。」

(どうしたんだろう?心臓がドキドキいってる。)
 雪斗は駅までの道のりを駆けながら、思う。
(これは、走ってるからじゃない。走っているだけじゃ、こんな風にはならない。)
 雪斗の方でも分からない気持ちにさせられていた。
(どうして?絡まれたから?でも、あの時はそんな風に思わなかった。ドキドキし始めたのは、)
「その後……?」
 アゼルの微笑みを思い出す。
 すると、心臓は大きく鳴り、顔が火照っていくのがわかる。
(え?え?え……?これって……。)

 この世界には『運命のいたずら』という言葉がある。
 この二人の出会いがいたずらだったのかどうかはわからない。
 しかし、決定的に二人の心情を書き換えていったのは事実。
 そして、この先の未来をも変えていったのも、また、事実。
 その未来に確定性はないけれど。
 幸せになるためのきっかけは手に入れた。
 それを持っていることに気付けるかは彼ら次第。
 そして、それに気付けたならば。
 きっと、未来は明るく輝いている。

 ――人との出会いは人自身をも変える。

2015/11/16 up
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